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レジェンドたちが明かす「2008年の後悔」:キャンデース・パーカーとスー・バードが語る、逃したチャンピオンシップへの思い

WNBA史に名を刻む2人のレジェンド、キャンデース・パーカーとスー・バードが、それぞれのキャリアで「取り逃がした優勝」について語りました。複数のチャンピオンリングを手にし、オリンピックでも金メダルを獲得した2人ですが、真の競争者として、まだ悔いが残るシーズンがあることを告白しています。

偶然の一致:2人が同時に挙げた「2008年」

パーカーのポッドキャスト「Post Moves」にバードがゲスト出演した際、「優勝すべきだったと感じる年はあるか」という質問が投げかけられました。バードが答える前に、パーカーは自身の後悔として2017年、2015年、そして2008年を挙げました。

興味深いことに、バードもまた真っ先に2008年を挙げたのです。2人のレジェンドが同じ年を後悔のシーズンとして記憶していたことは、単なる偶然ではありませんでした。

パーカーの2008年:ルーキーイヤーの挫折

パーカーにとって2008年は特別な年でした。WNBA1年目でMVPを獲得し、ロサンゼルス・スパークスでプレーオフに進出したシーズンです。スパークスは1回戦でシアトル・ストームを破り、ウェスタン・カンファレンス・ファイナルまで駒を進めました。

しかし、サンアントニオ・シルバースターズに3試合で敗退。優勝への道は途絶えました。パーカーはこの年を含め、2015年の最終秒のショット、2017年のミネソタとのゲーム5での敗戦を、キャリアの中で最も悔いが残るシーズンとして挙げています。

バードの2008年:万全の布陣が崩れた瞬間

一方、バードとシアトル・ストームにとって、2008年は紙の上では完璧なシーズンになるはずでした。オフシーズンにヨランダ・グリフィスとシェリル・スウープスという2人のスター選手を獲得。すでにチームにはバード、ローレン・ジャクソン、タニーシャ・ライトという強力なメンバーが揃っていました。

「私たちはチームを作り上げていく過程でした。オリンピック休暇に入る時点で、1位か2位の位置にいました」とバードは振り返ります。

シーズンは順調に進んでいました。スウープスとグリフィスは全盛期ほどではなかったものの、チームに大きな貢献をしていました。しかし、全てはオリンピック期間中に変わりました。

運命を変えた怪我:ジャクソンの離脱

「オリンピックに行って、ローレンが怪我をしました。あの年は優勝を狙える力があったと思いますが、ローレンが抜けた瞬間に(チャンスは消えました)」とバードは語ります。

ジャクソンは右足首を負傷しました。単なる足首の怪我ではなく、骨棘が剥離するという重傷でした。彼女はそのシーズン中に復帰することができず、ストームはジャクソンの穴を埋めることができませんでした。

それでもストームはプレーオフ1回戦に進出しましたが、皮肉にもパーカー率いるロサンゼルス・スパークスに敗れました。

2008年のチャンピオン:デトロイト・ショックの栄冠

結局、2008年のファイナルはサンアントニオ・シルバースターズとデトロイト・ショックの対決となりました。ショックが6年間で3度目のタイトルを獲得し、シーズンを締めくくりました。

パーカーもバードも、この年の優勝には手が届きませんでした。しかし、2人ともその後のキャリアで複数のチャンピオンシップを手にすることになります。パーカーは3つの異なるチームで3度の優勝を経験し、バードは19シーズンで4度のチャンピオンリングを獲得しました。

レジェンドたちの共通点:勝利への飽くなき追求

複数の優勝とオリンピックの金メダルを手にしても、真の競争者は「もっと勝てたはず」という思いを抱き続けます。パーカーとバードの対談は、彼女たちがいかに勝利に対して貪欲であり続けたかを示しています。

2008年という同じ年を挙げた2人。それぞれの立場から、「あの時もう少し何かが違えば」という思いを共有した瞬間でした。この対談は、偉大な選手たちでさえ、キャリアの中で「もしも」を考え続けることを教えてくれます。


引用:yardbarker

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