ロンゾ・ボール

19歳が背負ったビッグベイラーブランド、ロンゾ・ボールが明かした後悔の舞台裏

 

ロンゾ・ボールが、マイケル・ポーターJr.が手がけるポッドキャスト「Curious Mike」に出演し、キャリアで最も後悔していることを語りました。話題の中心は、父ラバー・ボールとの関係、そして19歳だった自分が下せなかった決断です。派手な移籍情報が飛び交うオフシーズンの中で、これはかなり静かで、しかし重い話でした。

「言われた通りにやっていただけ」

ボールが最大の後悔として挙げたのは、自分のキャリアの舵をもっと早く自分で握らなかったことでした。「言われた通りにやっていただけだった」と本人は振り返っています。

具体例として語られたのが、シューズをめぐる一件です。プロ入り直後の時期、ボール自身のところへナイキやアディダスから直接の連絡が来たことは一度もなかったといいます。代わりに父の方針に従い、NBA入り後もビッグベイラーブランドのシューズを履き続けました。そして今回、実はそのシューズを気に入ってはいなかったと認めています。

当時19歳。NBA選手になり、資産も手にした一方で、人生のほとんどを父という指針の下で過ごしてきた若者でもありました。振り返れば、代理人を立て、自分でミーティングの席に着き、自分で決めるべきだったと語っています。ただ、ブランドに逆らうことは家族に逆らうことでもある。どのシューズを履くかという、本来は単純なはずの選択が、そう単純ではなくなっていた構図です。

家族の名前が膨らんでいった数年間

この話は、ボール家がどれほど急速に大きくなったかという文脈を抜きには読めません。高校時代のチノヒルズでは、弟のリアンジェロ、ラメロとともにプレーし、そのスピードと激しいプレッシャーを武器にしたスタイルで全米屈指の話題を集めるチームになりました。3兄弟は高校生のうちから全国区の存在でした。

ビッグベイラーブランドの熱がピークに達したのは、ボールのレイカーズでのルーキーシーズンだったといいます。マーベリックス戦の最中、ふとスタンドに目をやると、BBBのTシャツを着たファンが大勢いた。あの瞬間に、自分の家族がどれだけ大きな存在になったのかを実感したと語っています。

キャリアそのものは、その頃に描かれた青写真の通りには進みませんでした。高校バスケで最も注目される存在の一人となり、ドラフトでは上位2番目で指名され、途方もない期待とともにNBAに入りました。しかしその後、膝の負傷が繰り返しコートから彼を遠ざけています。

取り戻すのではなく、組み直す

今回の対話で個人的に一番印象に残ったのは、復帰へのアプローチについての部分です。ボールは、負傷前の自分と同じ選手に戻ろうとするのではなく、いま自分にできることを見極めたうえで、そこを軸にプレーを組み直したと語っています。これは口で言うほど簡単な作業ではありません。かつての武器を諦める判断を、自分で下す必要があるからです。

19歳の頃に持てなかった自己決定権を、キャリアの後半になって、自分の身体との向き合い方において手にした。そう読むこともできます。皮肉と言えば皮肉ですが、この語り口には妙な説得力がありました。

エピソードの終盤には軽い場面もありました。ポーターがブルックリン行きを冗談めかして誘い、ボールは「メンター役なら乗るよ、連絡をくれ」と応じています。ボールは現時点でネッツの一員ではありませんが、若いガードが揃うチームで経験を渡す役割には前向きな姿勢を見せた形です。

この話が刺さる相手は誰か

ボールの後悔は、決して彼だけの話ではないと思います。NILによって高校生の段階から契約や金銭が絡む時代になり、10代の選手が大人の思惑の真ん中に置かれる場面は確実に増えました。誰を代理人にするか、誰の言葉を信じるか、いつ自分で決めるのか。かつて全米で最も注目された19歳が、年月を経てから「もっと早く自分で決めればよかった」と語る意味は小さくありません。

同時に、これは家族を否定する話でもありません。ボール自身、父の導きに感謝を示したうえで、それでも自分の判断をもっと早く信じたかったと語っています。この二つが同居しているところに、この告白の誠実さがあると感じました。

今回のエピソードはYouTube上でも公開されています。数字やスタッツの話ではありませんが、ボール家の物語を追ってきた人にとっては、いま聞く価値のある内容だと思います。

引用:https://sports.yahoo.com/articles/lonzo-ball-reveals-biggest-regret-160037489.html

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